神田川は白鳥橋の解体現場、そのアスファルト下より出現した東京ゲージ。
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現代に忽然と出現せる凌雲閣・浅草十二階の遺構。

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京成高架下01京成高架下02京成高架下・昭和11年
撤去が進んでいた荒川区の京成高架下建築群。最後まで残っていた道潅山通り沿いの一角が最近解体(左写真)され、これで全撤去が完了したようだ。右写真は戦前、昭和11年頃の同高架下。藍染川通りなどは数年前までこの雰囲気のままだったと記憶している。随分と風通しが良くなってしまった。

Aバラック01Aバラック02Aバラック03
端ノ向フの資料収集のため幾度か訪れた、荒川区のバラック郡。まるで終戦直後から時が停止しているようであるが、季節によっては緑に覆われて牧歌的。しかし周囲には新しい空き地が目立ち、これらが消失するのも時間の問題かもしれない。

越中島01越中島02越中島03
亀戸から総武線と別れて地の果てへ真っ直ぐ伸びるような単線が気になっていたので沿線を散策した。これは越中島貨物線というらしく、昭和四年の完成。赤レンガの橋脚が特徴的である。線路は塩浜で終わっているものの、まだその先に草生す廃線跡が残っていた。
ここからは戦後に延長された区間だったらしい。

町屋自転車で西日暮里のガード下をくぐり、ヤキバの町屋を越えても、尾竹橋を渡るのにはなかなか気が進まなかった小学生の頃。隅田川の水面を見ていると飲まれそうな気がするし、対岸は「こちら側」にほとんど存在しない"送電線の鉄塔"が沢山生えているような『異界』だった。
あらかわ遊園こそは"世界の果てにある遊園地"という認識で。
 新編「昭和二十年」東京地図 (ちくま文庫)を読んだら、橋=端で、境界線、異界の入り口であるような記述が頻繁にあって、妙に納得。ついでに、ヤキバのある町屋は帝都の端っこだったそうなので、さらに納得した最近。

先日、中央区方面へ散策に赴いた際に遭遇した、"築地のバラック"。
築地市場裏手の駐車場(もとは水路だったよう)沿いにそびえる、一部で有名な物件である。まるで小さな九龍城、大阪軍艦アパートのよう。見ればトタン張りから、木造板張りまで多種多様な"小屋"が連結されている。なお今回は我がトイデジ、"デジタルハリネズミ "用に購入した各種レンズを初投入して撮影に臨んだ。
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野方給水塔以前から見たかった中野区の野方給水塔。同型の大谷口給水塔(板橋区)は先日解体されてしまったらしいので、早く見に行かなければと、トイデジ片手に江古田へ向かった。
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駒込木造アパート家の近所、駒込付近の木造アパート。その迫力は、石垣上にそびえる木造の断崖である。奥から森に侵食されている具合が素晴らしい。

窓がアルミサッシになっているところが残念ではある。

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